2011年08月14日

BTRONは日本航空123便と共に葬られたのか?


D
f:id:Takaon:20110814171511j:image
1. 日本航空123便、在日米軍撃墜説。
 1985年8月12日、日本航空123便が群馬県山中で墜落した。事故調査委員会の公式発表では圧力隔壁が破壊されて、風圧で垂直尾翼が吹き飛んだことになっている。客室内部の減圧も殆ど見られず、一部の空気が放出されたとしても、垂直尾翼の強度を考えると有り得ない。
 自衛隊の誤射説は書籍になって2冊刊行されている。在日米軍の誤射説もある。当日、下田沖で日米合同演習が行われていた。その演習中に123便を模擬機と誤認して撃墜したのであれば日米のどちらにも可能性がある。
自衛隊誤射説では高速無人標的機「ファイア・ビー」との衝突の可能性を指摘しているが、訓練支援艦がいないと飛行させることができないし、狙って飛ばしたわけでも無いものが衝突する可能性はかなり低いだろう。護衛艦「まつゆき」が撃った沿岸防衛用国産巡航ミサイル「SSM−1」のプロトタイプである演習用ミサイル説もあるが、大型旅客機であっても、巡航ミサイルなら回避できるという。高濱機長はボイスレコーダーで「何か爆発したぞ」と言っている。であるから無人標的機や爆薬の無い演習用ミサイルではないだろう。
 一方、在日米軍誤射もしくは故意撃墜説では艦対空ミサイル及び空対空ミサイル攻撃の可能性挙げている者もいる。私は艦対空ミサイルでは無いと考える。艦対空ミサイルであるならば、ボーイング747下部に命中するだろう。しかも、衝突時点で123便は23900フィート(7284m)を飛行中である。
 戦闘機に追尾され、レーダー照準でロックされれば、ミサイルは搭載されているセンサー及びコンピューターによって自動的に追尾する。空対空ミサイルには熱源探知追尾型とミサイル自身が追尾用のレーダーを使用するもの(アクテイブ・レーダー・ホーミング)がある。熱源であるエンジン付近に着弾したならば、熱源探知追尾型AIM-9サイドワインダーが考えられるが、実際には垂直尾翼に命中した事を考えるとアクテイブ・レーダー・ホーミング型ということになる。仮にセミアクティブレーダーホーミング中距離空対空ミサイル「AIM-7スパロー」が使用されたとすると飛翔速度はマッハ4であり旋回性能差を考えると、ボーイング747では逃げ切れるものではない。ミリタリー系専門雑誌に寄稿している人物に空対空ミサイルについて聞いてみた。他サイトでの指摘の通り、空対空ミサイル1発で大型旅客機が爆散するわけではないそうだ。正面からの発射の場合は外す可能性があるので、後方から追尾してミサイルを発射したと思われる。垂直尾翼に命中する確率が高い。JAL123便が事故時刻に飛んでいた空域は、「関東南A空域」と「関東西空域」の2つで、調査記録にある12機とは別に関東西空域に米軍機がもう1機存在したそうだ。

2. 国際緊急無線信号「スコーク77」
 24分35-36秒に”ドーン”という音。同42秒に(機長)スコーク77を命じ、同47秒 (副操縦士)スコーク77発信をしている。爆発から発信まで10秒程度である。
 スコーク77とは、飛行機の最高度のSOS国際救難信号だ。発信にはマニュアルがあり、チェックリストがあるそうだ。チェックに要する時間は、通常は2〜3分、どう急いでも1分はかかる。それを10秒で発信しているということは事前に異様な事態に陥っていた可能性が高い。また、カンパニーラジオでの交信が終わった21分00秒からCVR記録が始まる24分12秒までの3分12秒間の音声記録が無い。
 『週刊現代』2010年8月14日号によると、客室では小川氏の父親が5枚連続でR5の座席位置から、窓の外に異変を感じ取り、それを確かめるように何度もシャッターを押しかのような写真が5枚残されている。画像処理の専門家の検証では、「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向 から飛行機の進行方向に向かっているように見えます」とのこと。私は米軍のF-15もしくはF-16 戦闘機が飛来していたのだと推測する。
 衝突もしくは爆発以前に戦闘機が123便に併走し、客室内で気づいた乗客が居た。当然、コクピットでも異変を察知し、故に爆発から短時間でスコーク77を発信できたのだろう。

3. もく星号墜落事故
 1952年4月9日、羽田発名古屋・伊丹経由福岡行きの便で、羽田を午前7時42分に離陸したもく星号は直後に消息を絶ち、大島の三原山に墜落している。「もく星号」の乗客と乗員の救助活動は、1952年4月9日早朝から1日も経った4月10日早朝まで行われなかった。 ジョンソン基地と米軍極東軍が派遣したヘリコプターは、大島の三原山に墜落している「もく星号」の乗客と乗員の救助活動は、全く行わなかったのである。この辺の話は1985年8月13日の日本航空JAL123便の御巣鷹山墜落事故の場合と全く同じだ。また、事故発生時点も123便のときと同じ相模湾の伊豆沖上空であり、状況はよく似ている。
 推理作家の松本清張は、この事件を題材にした「1952年日航機『撃墜』事件」角川書店刊や「風の息」などの著書で、墜落原因として「アメリカ軍機による撃墜が行われた」という説を主張した。
 事故後、事後処理の時間を稼ぐため、米軍は日本側にあらぬ方向で発見されたというウソの情報を流して注意をそちらに向けさせ、その処理が終わった時点で、「米軍は何も発見していない」と発表し、突き放している。事故当日に米兵多数が大島に上陸して、雨の三原山に登っている。米軍は機銃掃射によって発生した銃撃の痕が残る「もく星号」の右の補助翼を回収したと推測されている。

4.日本航空123便の救助遅延と遺体の状況
 日本航空123便の救助遅延に関して様々な情報が飛び交っている。
当日のNHKニュースの初報で「待機命令に反して御巣鷹山へ怪我人救助を急いだ自衛隊員1名が射殺された」発表した。後に訂正されている。
 米空軍第345戦術空輸団所属のマイケル・アントヌッチ中尉(航法士)はC130輸送機で横田基地に向かう途中、123便の緊急無線を傍受。御巣鷹の尾根に煙があがるのを目撃している。すぐに米軍の救難チームのヘリが厚木基地から現場に向かい、午後9時5分に現場に到着。隊員が現場に降りようとしたのだが、在日米軍司令部から「日本側が現在現場に向かっているので帰還せよ」という命令を受け、救助活動を中止して帰還する。
 『週刊現代』記事によると、主翼の燃料タンクから遠いところに投げ出された遺体が炭化しており、遺体が集まっていた所で黒こげ状態が激しかったという。当時、遺体の歯形で本人確認を行った大國勉氏(歯科医師、群馬県警察医会副会長)によると「私は群馬県警察医と して千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。…二度焼きしたような状況だ」。周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、遺体だけが骨の芯まで焼かれているのはなぜか。群馬県の検視報告書において担当医が「二度焼き」という言葉を使ったことは、ただごとではない、と述べている。
 生存者4名に貢献したのは「長野県警レスキュー隊」であった。群馬側の人間を大変に威圧し全員死亡を回避との指摘もある。http://p.tl/yz8A

5.なぜ日本航空123便は撃墜されたのか。
 仮に米軍機が空対空ミサイルで123便が攻撃し、垂直尾翼野5分3が吹き飛んだとすると、なぜ追撃し次のミサイルを撃ち込む事が無かったのかとすれば、スコーク77の発信があったからだと思われる。機長は横田基地の誘導を無視している。緊急遭難信号に基づくと思われるスクランブル発進をした2機の自衛隊機が123便を追尾したようだ。
 垂直尾翼及びフラッター制御用油圧4系統全てが失われた状態で、エンジンの出力制御だけで機を飛び続けたが、高天原の尾根(御巣鷹の尾根)に墜落した。
 動機として巷間最も主張されているのが、プラザ合意取付けへの恫喝説だ。プラザ「合意」となっているが、実質は第二次ニクソンショックとしてのドル通貨切り下げ宣言のようなものだろう。貿易摩擦の激化と米国の産業、特に半導体部門劣勢状況を覆すためにあらゆる手段が模索され行使された事は想像に難くない。しかし、当時は表面的なものであったのかもしれないが、ロン・ヤスなどともてはやされ、日米二国間関係は良好だとされていた。
 123便搭乗者を狙った撃墜説も出た。不二家社長、ハウス食品社長、坂本九氏。特にグリコ森永事件がこの事件を契機に終結宣言が「怪人21面相」側から出され関与が取りざたされた。坂本九氏はハウス食品CM出演者でもある。事故後不二家はロックフェラーに銀座周辺の土地を全て売却したとも言われている。
 1985年8月13日毎日新聞は「一度に17人遭難松下電器グループ」と報じている。ネット情報では彼等は松下電器産業のトロン開発部隊であったそうだ(要検証)。1984年坂村健東大助手(当時)が提唱したTRONプロジェクトが発足した。松下電器は、さっそく200人以上の開発陣を投入し、 BTRONプロジェクトを推し進めた。FM-VのOEM PanacomMシリーズとして1988年に発売に漕ぎ着けている。仮に事故で亡くなられた17人がTRONの研究者だったとすれば、松下内部での開発への打撃のみならず同業他社や政官分野への萎縮効果は相当なものだったと思われる。
 アメリカは国是として国家の基幹産業を保持することを宣言しており、情報産業部門も国家の意志が介在することによって保護されていると考えられる。日本にしてみればアメリカ側は「包括通商・競争力強化法」という障壁を作り、日の丸OSが広範囲に使われることを抑止されたという事である。
 ヨーロッパはUnix・Linuxベースの無償OSでマイクロソフト支配に対抗している。ディストリビューターとしてはUbuntuプロジェクトがポピュラーである。Google社はLinuxカーネルを用いたChromeOS/AndroidOSを開発・製品搭載している。
 ITRONは制御用OSとして家電や携帯電話で使われている。携帯電話分野では高機能化に伴い、Symbian OSやAndroidにその座を譲ろうとしている。Google社のポジショニングは実に興味深い。米国自身にマイクロソフト競合法人が出てきて、オープンソース文化を取り込んでいる。日本においてもGoogle社の様な情報覇権主義のような企業が出てきても良いのではなかろうか。
 2007年に経済産業省は、自動車メーカー10社と共同で、自動車の電子制御装置に組み入れる国産OSの開発に乗り出す方針を決めた。ぜひ頑張ってほしい。関連するのか不明だが、アメリカでトヨタリコール問題が取りざたされた折り、ジェイ・ロックフェラー上院商業科学運輸委員会委員長自身が懸念を表明。地元ウェスト・ヴァージニアにトヨタの工場を誘致して雇用を1200人創出したと誇らしげに自身のHPに掲載している本人がトヨタ叩きの急先鋒を務めた。アメリカ運輸省事故調査委員会に電子制御プログラムを提出したら、アメリカ側がトヨタに非が無いことを明言した。この件、制御プログラム構造を知りたい米国側に政治的作為があったとしか考えられない。

(付録)
--転載開始--
日航123便事故当時(1985年8月12日〜)の中曽根首相の動向を検証していくと、おかしな行動をしていることに気が付きます。http://p.tl/kl9j
  単独航空 機事故としては史上最悪の520人の犠牲者が出たのに、事故翌日は現地にも向かわず、池袋サンシャインで輸入品の見学など、何もないがごとき行動をしてい ます。しかも、日航はその当時は半官半民で国は大株主の当事者であり、墜落した群馬県は首相の選挙区なのに…。
  さらに、 その日の夕方、米軍のクラフ米太平洋司令官、テイッシュ在日米軍司令官、マンスフィールド駐日大使の訪問を受け、2時間近くの長時間にわたり密談していま す。
  そして、 8月15〜17日の2泊3日にわたり、中曽根首相は人間ドックに入り、首相の動向がシークレットになっているのは、どう見てもおかしなことです。
--転載終わり--

(参考)
松本清張が直観したもく星号墜落事故におけるアメリカの陰謀を振り返ろう
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/jiko/index6.html
INTEC JAPAN/BLOG
http://intec-j.seesaa.net/pages/user/iphone/category?category_id=3705499&page=1
17名のトロンOSの研究者を載せた日本航空123便墜落事故 撃墜されたのか?
http://blog.livedoor.jp/omttm202/archives/51462832.html
あれから20数年…御巣鷹山、JAL墜落
http://ss9ch.iza.ne.jp/blog/entry/1422522/
日航機撃墜
http://blogs.yahoo.co.jp/mushroom_club_house/32810351.html
Tron
http://m-ken.blog.eonet.jp/weblog/2010/12/ton-6b11.html
超漢字
http://www.chokanji.com/index.html
JAL123便 ア ントヌッチ中尉の証言
http://ayarin841.blog100.fc2.com/blog-entry-134.html
日航ジャンボ機JAL123便墜落事故(M氏の証言 _完全版)
http://www.youtube.com/watch?v=Pf3-eJgnOkM&feature=player_embedded
日航123便はなぜ墜落したのか 2010年8月9日
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0809.html
虫返しコーナー
http://www.diskdig.com/asl/2/musika_2.htm
日航123便機墜落事故の現場にバイクで真っ先に駆けつけた男(T)
http://blogs.yahoo.co.jp/mvbzx0147/22176424.html
情報家電のOSで、トロン陣営とマイクロソフトが連合へ
http://maesaka-toshiyuki.com/detail/83
【第19回】TRON - Windowsを普及数で越えたOSの挫折と復活
http://partners.dhw.co.jp/html_mail/newslink/030730/030730sugiyama.html
Microsoft Windows
http://ja.wikipedia.org/wiki/Microsoft_Windows
日本航空123便墜落事故原因はアメリカの意志でねじ曲げられました。
http://d.hatena.ne.jp/Takaon/20080819
日航ジャンボ機JAL123便墜落事故(M氏の証言 _完全版)
http://www.youtube.com/watch?v=Pf3-eJgnOkM
posted by たかおん at 17:23| 埼玉 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | アメリカ帝国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日航ジャンボ123便 ソ連の日本侵攻としてのJAL123便尾翼破壊、及び自衛隊の裏切りによる撃墜、公安(ソ連)指示の生存者虐殺であった。
助けに来たのは米軍と警視庁、それと長野県警レスキュー隊(ユダヤ部隊)のみであった。日本人の生存には日米同盟が重要である。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak51/msg/661.html

日航ジャンボ123便 総括 日本に必要なのはアメリカ主導による国家再構築である。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak51/msg/650.html


日航ジャンボ123便 御巣鷹の尾根スゲの沢の写真にソ連軍機の椅子と酷似するシートが認められる。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak51/msg/648.html

日航ジャンボ123便 御巣鷹の尾根スゲの沢報道写真中にロシア語ソ連キリル文字が見られる。ソ連軍機が一緒に落ちている状況。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak51/msg/654.html





第二次世界大戦後、アメリカ主導による日本再構築が行われ、日本は総中流まで成長した。

しかし、1985年8月12日の日航ジャンボ123便でアメリカが日ソ(日露)勢力に対し敗退し、日本での覇権を失った。

そして、2011年の今日も尚、日本は急速に低迷している。

日航ジャンボ123便の教訓として見えてくるものは、
日本に必要なのは純粋な日米同盟であり、アメリカ主導による国家再構築が急務である。  
Posted by 123 at 2011年12月30日 21:56
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック