2007年06月19日

政治のコスモス「無限のリヴァイアス」がもたらした衝撃

87323227de58db161c8f2de23b535508.jpg スタジオオルフェ所属黒田洋介、倉田英之らは1999年同時期に、アニメ史に残る傑作に参画。
黒田洋介-谷口悟朗「無限のリヴァイアス」、倉田英之-大地丙太郎「今そこにいる僕」がそれである。
「今そこにいる僕」は「未来少年コナン」のシリアス版とも言える内容。
登場人物が取り置かれる状況描写・感情描写は極限状態を現し、声優さんの演技力に打ち支えられて、従来のアニメ描写の限界を打ち破る内容。
一方の「無限のリヴァイアス」はノーベル文学賞作家ウィリアム・ゴールディング(William Golding)の「蝿の王」を下敷きにした、権力が持っている負を産み出す力や革命の退廃を骨子にして政治のコスモスを巧みに捉えている作品。
「リヴァイアス」は近代民主主義ルソー社会のようなジュール・ヴェルヌ「15少年漂流記」とは、対極的な作品である。であるから、「リヴァイアス」は
「銀河漂流バイファム」の如き直面した危機に団結をもって乗り越えてゆく等という理想主義の香りは微塵もなく、登場人物は禁忌なまでに深刻な状況に取り置かれ、各員が生存を賭けて立ち振舞う。
日常の社会秩序は実定法による抑止力を科せられて成立するが、外界と隔絶した状況下において、少年・少女達のみで秩序構築の必要性に迫れれば、十代の生々しい暴力性がコミュニティを支配する事となる。
しかし、エアーズ・ブルーの暴力支配は、規則功利主義に基づく統治を目論むシュタイン・ヘイガーによって覆される。当初、ユイリィ・バハナを傀儡として擁立するが、後に対外的な武力を掌握した尾瀬イクミをリーダーとして航宙艦リヴァイアスに降りかかる危機を乗り切ろうとする。
ファイナ・S・篠崎は逆境を宗教的試練と受けとめて「聖母アルネの慈悲」を掲げ、原始宗教弱者救済コニュニティを形成する。
ファイナは宗教原理主義の悪しき理念に基づき、相葉昴治の自分への愛情を引き止めるべく、恋人の蓬仙あおい暗殺を仕掛ける。
特筆すべきは、「リヴァイアス」には「蝿の王」に該当するキャラクターが存在しない、航宙艦リヴァイアス戦闘知性体ネーヤが登場する。
ネーヤはリヴァイアス内部で発生する各員の行動や感情を吸収して、リヴァイアスの守護と相葉昴治の導師としての役割を果たす。
そして、相葉昴治自らの意志と蓬仙あおいの介添えで、武力行使の停止を求めるべく、自己犠牲の精神を持ってして、銃口の前に立つ。

 リヴァイアスが素晴らしいのは、卓越したSF考証に基づいた描写のみならず、「蝿の王」が提示した、人間の野生と政治について赤裸々な表現をアニメ上で行った事である。
リヴァイアスは人文科学の叡智を骨子にして、日本アニメが培った演出や技術による装飾により、鮮烈な印象を我々に与えた。
当然、後に続く作品群にも影響を及ぼし続けていると推定され、アニメ史を考察するには避けて通れない作品であると言えるだろう。

posted by たかおん at 00:42| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | アニメ批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

「今、そこにいる僕」の感想
Excerpt: ずっと昔に見たアニメで、日本では、まあ、あまり話題にならなかったアニメですが、海
Weblog: 外人のアニメ批評を批評するブログ
Tracked: 2007-07-06 13:37