2007年06月28日

護憲に向かってゴーゴーゴーゴー

kenpou9zixyouirasuto.jpg 天木直人さんがmixiにいらっしゃるので、マイミク申請を出そうと思ったのですが、その前に自分の憲法に対する意見を述べておいたほうが良いと思いますので、簡単にまとめてみたいと思います。

○護憲こそが最後の希望
 「格差社会を考える」というコミュニティがあるので、そこへ「9条ネットをよろしく」と書き込んだら、
「憲法なんかどうでもいいんだ、お前のような奴がいるから格差が無くならないんだ!」
と反論されてしまいました。果たして、そうなのでしょうか?
 一方では赤木智弘氏が述べた「戦争が希望」という言説が大はやりです。朝日新聞自身も取り上げましたし、朝日新聞傘下の「論座」は毎号「戦争が希望」特集です。驚くべきはNHKのクローズアップ現代がスタジオに赤木智弘氏を招いて、番組を製作・放送したのです。
 メディアは所詮金儲けだとは思いますが、少し不用心過ぎると思います。
赤木氏の主張とは、自分は社会的に恵まれないので、自分より恵まれる他者が戦争によって酷い目にあってしまえ!と願い、しかも、赤木氏自身は戦争によって軍隊で良い地位に付いて知識人をいじめたりすることが出来たり、「名誉の戦死」をして国家に認められるのであれば、打ち捨てられた現状よりも良いという趣旨です。
 当初、私は反論が殆ど見られないので焦りました。「戦争が希望」言説を否定できない脆弱な市民社会は統治による抑圧や策謀に弱いという傍証であるからです。(実際は弱いと思いますが(^-^;)
 とは言うもののさすがに日本社会も捨てたものではありません。赤木言説についての反論が出ています。
プレカリアートの希望は戦争に非ず──赤木智弘批判
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=469681081&owner_id=202231
「希望は戦争」という意見は、出るべくして出てきた
http://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/275/
http://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/276/
上記の内容です。
 私は「護憲こそが希望」だと思います。少しつけ足せば、「護憲こそが最後の希望」です。それについて説明したいと思います。

○労働者の権利を護る実定法について
 戦後、日本国憲法に数年遅れること労働者の権利を護る法典、いわゆる労働三法が施行されました。また、第一次・第二次農地開放も行われ、戦前の小作人・労働者の低い社会的立場は実定法においては改善しました。日本の民主化を後押ししたのは憲法の存在だけではありません。憲法の理念に基づいた法体系が整備されたことも多いに影響しています。
しかし、段々雲行きが怪しくなって参りました。1996年に施行された労働者派遣法は急増するソフトウェア技術者の需要に答える形で、職種を限定した形で導入されました。 しかし、2004年の改正労働者派遣法は殆ど無原則とも言える派遣労働の援用を認めており、労働者の権利を侵害するものでしかありません。
併せて逆進性の強い消費税の導入・税率UP、見なし課税・課税最低限の引き下げときて、法人税制においても賃金等の外形に課税する外形標準課税が導入されました。
国家と国民は徴税権を端境にして対峙しており、徴税及び予算による配分よって国家の形態はおおよそ決まります。
 1789年のフランス人権宣言16条には
「権利保障が確保されず、権力分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」
と記されており、三権分立は立憲主義の基底をなします。しかし、日本は菅直人氏の「大臣」に記されている通り、大臣就任演説を官僚側の作ったものを読んだ時点で、官僚サイドの飼犬になってしまいます。最高裁判事はポスト割りが存在して、民権を全面に出す最高裁判事は常に小数です。それらの事も災いし、なおかつメディアの堕落も重ね合わさって、法の支配による「人権の保障」や「個人の尊厳」が空文化して来ています。
 もし、私達が国民の権利を護る戦いをしていると仮定し、例えて言うのなら、2004年の改正労働者派遣法がミッドウェイ沖海戦なら、憲法改正はサイパン島陥落です。憲法が改正されたら、私権・財産権を認めた過去の判例は無効となり、我々の生活を苦しめる法体系が施行されていくでしょう。焼夷弾でも1t爆弾でも原爆でもなんでもござれで降ってきます。現在はすごい勢いで負け戦となっている通過点なのです。そう考えると、憲法を考えることは格差社会を考えることにも繋がるのです。
 
○改憲への誘因が働くのは洗脳の結果に過ぎません。 
 巷には「集団的自衛権の行使」などという話しが敷衍しておりますが、「集団的自衛権」というのは第ニ世界大戦前の発想で、第一次世界大戦の惨劇を繰り返さないために、リージョナルな集団的自衛権を抑止するために、国際連盟が作られたのですが、連合国と枢軸国が衝突しました。その愚を繰り返さないために国際連合があります。(実際は連合国による旧枢軸国の抑圧かもしれませんが・・・)
だもんですから、集団的自衛権の行使=国際連合の無力化を意味します。
小沢一郎氏の言うところの「国連に軍事的抑止力を請託する」という考え方はある意味正しいわけですが、別に日本は国連に軍を出さなくても金を出せば良いのです。国連が自らの予算で国連軍を組織すれば良いだけの話ですので、日本は改憲の必要性はないのです。
私は財務官僚こそが改憲を必要としていると思います。
国債への課税(100%?)やら財産税課税を実施するにおいて、私権を認めた判例が積み上がっている日本国憲法は邪魔なわけです。ちなみに、終戦直後の戦時国債デフォルトや財産税課税、新円切替は大日本帝国憲法下で行われました。
 安倍首相は政治家としての名声のために祖父岸信介氏の日米安保改定に続く「でかい話し」をぶち上げる関係から改憲を進めていると思われますし、その背後には利害を共にする官僚機構が存在します。
 ですから、単なる一市民は護憲であってしかるべきであって、改憲への誘因が働くのは一種の統治による「都合の良い洗脳の結果」に過ぎません。

○世界史を踏まえたアメリカとの付き合い方
反米アニメの系譜
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=432967135&owner_id=1289112
↑余談ですが、実はアニメーション上でも日米は争ってきたのです。
 それはそれとして、日本はアメリカとどうやって付き合うべきかというのは憲法論議にも関ってきます。日本のおける最高法規は日本国憲法でなくて、日米安保条約だという話しもあります。安全保障を金で買うというよりも、軍事的に占拠されているので、仕方ないのでお金を支払っているというのが本当のところでしょう。世界銀行を通じて日銀は米国債を毎年20兆円から30兆円買わされているそうですが、日銀は保有している米国債の数字を発表しなくなったそうです。
 「日本は海洋を支配するアングロ・サクソン世界と協調していくほかはない、というのが開国以来の日本の宿命」と名言する元タイ大使の岡崎久彦氏という人がいます。
 そこまで言い切るのはどういうロジックなのだろうか?ということで、御著書「繁栄と衰退と―オランダ史に日本が見える」を読んでみました。オランダは苛烈なスペインとの宗教戦争を勝ち抜いた後、つかの間の大繁栄を見ますが、イギリスとの海戦に破れ属国へと転落して行きます。
岡崎氏はかつてのオランダの興亡史と今の日米の関係を重ね合わせて、「アングロ・サクソンにどこまでもついていくのが日本の幸せに繋がる」と述べておられます。確かにそれも一理あるでしょう。
  元北米一課長岡本行夫氏はアメリカ要人との討論会の際に
「日本はイラク戦争にはついて行ったが、イランとの戦争には断固反対する」
と述べて聴衆による万雷の拍手を浴びたそうです。しかし、その結論はイラクで殉職した奥克彦大使の犠牲によって、アメリカの本質を知った末の「転向」に近いと思われます。岡本行夫氏は雅子皇太子妃のかつての上司でもあり、両者とも奥克彦大使と親交があったそうです。週刊誌報道によれば、雅子皇太子妃は奥克彦大使の死によって鬱病を発症したとのことです。奥克彦大使の死の真相については検証できないので割愛します。
 レバノン大使であった天木直人氏はイラク戦争に反対する公電2通を首相官邸に送ったことにより、外務省を解雇されてしまいました。結果としては、天木氏の行動が正しかった事が証明されつつあります。
 アメリカとイギリスの石油はあと十数年で枯渇しますが、中東の石油は現在の産出量ベースで116年分埋蔵されております。何の事はありません、イラク戦争とはイラクの石油を強奪するための戦争であって、「アメリカの軍事力・日本のお金・イギリスの悪知恵」で遂行されているのです。ワールドワイドで見た場合の悪の枢軸(axis of evil)とはアメリカ・日本・イギリスの事を差すわけです。
 この悪の枢軸から離脱した場合、アメリカは日本を許さないでしょう。かつて、スペインやイギリスがオランダに行なった様に、ありとあらゆる酷い事を行なうでしょう。それでも、私は「日本国はイラク戦争から即時に手を引く」べきだと思います。どの道、属国は宗主国に収奪されつくして衰退する運命にあります。それならば、国力のある内に、財力を含めた政治力を行使すべきです。それによって、日本が衰亡してしまっても、世界のためになるのであれば良いではありませんか。
ゲームのやりすぎ赤木智弘氏を「戦争が希望」の「リセット願望ゲーム脳」だとすれば、アニメを見過ぎの不肖たかおんは「護憲が希望」の「自己犠牲寓話アニメ脳」と言えるでしょう。(^-^;
・・・・というのは冗談ですが、岡崎史観をも超越する対抗すべき護憲史観を提示しなくてはならないのは確かです。

○「ミネルバの梟は黄昏がやってくると飛び立つ」
 人類史上最大の惨劇であった第二次世界大戦の結露として、日本国憲法はもたらされました。諸民族の興亡を通じた世界精神の発展の過程を説いたヘーゲルにしてみれば、日本国憲法をもってして、
「人類至高の精神世界が記述されている」
と評したのは間違いないでしょう。
 現在の格差社会問題と憲法論議の齟齬の源流は、憲法と憲法の元に制定された実定法の二層構造にあります。憲法についてはヘーゲル的啓蒙歴史感理解が求められており、税法・労働法制などの実定法においては生産諸関係に基づいたマルクス的唯物史観的理解が求められると言えるのではないでしょうか。
 ヘーゲルは
「歴史やそれを通して形成された文化価値の共有を軸に国民を定義し、意識の変容の過程は未だ完結していない。」
と述べています。
岡崎史観は日本国の最大幸福だけを考えた功利主義ですが、ヘーゲル的理想主義に基づいた日本国憲法が既定する「戦争の放棄」は、全人類による意識の進歩を促すべきものです。
ですから、黄昏ゆく日本における諸国民は、憲法を護るべき理念の保持と実践が求められているのです。

(東洋的世界への偏見が顕著だったヘーゲルを用いた憲法理念についての記述はかなり苦しいのは確かですが、人類史を通底した理想主義的歴史理解は、自国の利害にだけに基づく岡崎史観をも乗り越える、という趣旨です)(^-^;
posted by たかおん at 02:17| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 政治問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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祝!ど-てい卒業しました!
Excerpt: 西川先生みたいな女の人に37マモナ買ってもらえました! 
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