2015年04月04日

福島第一原発4号機で何が起きたのか?

福島第一原発4号機は「いつの間にやら建屋が破壊されていた」ということで、福島第一原発事故における謎の一つとなっている。

みのもんた氏が「4号機を見に行く」とラジオで話した直後に、失脚させられた。

あの経緯を報じたマスコミの発狂振りを見ると、「4号機には何かある」と疑わざるをえない。

2013年1月3日の朝日新聞プロメテウスの罠の記事が出てきた。

事故当初、統合参謀本部議長マイケル・マレンは「米軍は4号機が危ないと考えている。」と述べた。
マレン氏の地位はホワイトハウスの代理人とも言える立場であり、米国側の代表者としての意見と言える。

14日の午前までに既に1号機・3号機は爆発を起こしていた。

「4号機の核燃料プールに1535体の核燃料が入っており、水がなくなるとメルトダウンが始まり、膨大な放射能が飛び散ってしまう。影響は日本全土に及ぶ。」

(ちなみに、燃料プールの核燃料棒は当初の数字から2回訂正されている、この点も疑念を持つ要因となっている。)

15日6時過ぎに4号機で爆発。2号機の格納容器内圧力の急減が起きている。ほぼ同時刻だとされる。

(この事故の悪化により吉田所長の待機指示を決定している)

朝日・読売共に15日の4号機爆発・火災発生に対応した米軍出動を報じている。

4号機燃料プールの問題点、これは核燃料プール全部に言えるのだが、その高い設置位置にある。

燃料プール喫水はオペレーティングフロアー最上階である。

地面からの高さは30m程度あるのだろうか。

しかも、燃料プールは圧力容器や格納容器のように密閉されていないし、そもそも上部に蓋がない。

推測だが、燃料プールには定期点検中だった原子炉から取り出したばかりの核燃料が運び込まれており、収納量が多いこともあって、極めて発熱量が多く、冷却方法が失われた場合、本来は数日かけて沸騰に至るところを、もっと、短時間で沸騰に至る状態だったのではなかろうか。

ヤツコ米原子力委員会委員長は燃料プールに対して3重の電源を用意する事を提案していたが、退任に追い込まれている。

GE社の技術者証言によると、高い位置への燃料プール設置は危険だということを指摘したのだが、「経済性」を優先する関係から、そのまま高い位置で施行されたそうだ。

「ターンキー方式」により、東電側はGE社の設計を受け入れることで割安の施工料で契約した。設計変更が発生すると、多額の費用が請求されるので、変更が見送られたとも言われている。

一方では、施行に遅れにより、GE側が度々追加費用を請求すると東電側は了承したとも報じられている。

燃料プールが高い位置にあった方が、原子炉内との核燃料交換が容易であるので、「経済性」を確保できるという事である。

しかし、事故が起きた時、高い位置にあるがゆえに注水が難しい。
事故対応の難しさについてGE技術者は憂慮していたと伝えられている。

結果的には冷却機能が失われた燃料プールに対して、コンクリートポンプ車で外部注水を行うことになった。
高所へ注水可能なコンクリートポンプ車を調達するのに時間がかかり、事故対応が遅れた。

この「ターンキー方式」は、緊急ディーゼル発電機がタービン建屋地下1階に2台ともあったことと関係している。

米国では竜巻が多いので、緊急発電装置を地下に設置する。

しかし、米国側は洪水対策として発電機に防水対策を施している。

日本では、建築後40年に達しようとしていたのに、改善策が取られていなかった。

安倍総理が2006年に国会で語った「全電源装喪失はない」の発言もあり、別の箇所に電源装置を設ける事をしなかった。

裏手の高台に電源装置を設置していれば、地震で配管破断が起きたと推測される1号機はともかく、これほどの連鎖原発事故には至らなかった可能性は高い。

原発関係の本を読むと「経済性」、つまり原発の発電費用は安い、という事を巡って様々なやりとりがされている。

ウラン鉱山の掘削から考えれば、決して安くないのは想像に難くない。おそらくウラン掘削に対して投じられた石油エネルギーを考えると、石炭やガスを掘削して発電するよりも効率が悪いと思われる。

原発は数字を装飾して、他の発電方法よりも原発は安いという事を喧伝しなければ、成立しない発電方法である。

そこで、日本では安全対策もおざなりにされてきた。

組織内の硬直体制もあっただろう。

「安全といって原発を設置したから、安全対策をすると不安を煽ることなる」

という愚かな理由で安全対策を放置してきた。

津波対策も同じである。旧保安院内部も東電も海溝型地震による津波を想定していたが、結局対策を取るにまで至らなかった。

保安院上層部が「クビにする」などと恫喝したとも言われている。

4号機の建屋破壊の謎は、「核燃料の取り扱い方法」を巡る秘密があるとも噂されている。あれこれ、推測話は飛び交って入るが、真実が明らかにされることはないだろう。
しかし、事有れば直接に我々の生存を脅かす事となるし、実際にそのような事が起きた。原発に関する事柄においては、可能な限り秘密は取り除かれなければならない。

一時期話題になった汚染水タンクの漏水については、現地に入っている原子力規制委員会の調査員と東京電力の報告に食い違いがあるようだ。
最近では、2015年3月20日頃から福島第一原発周辺での放射線量増加が計測されている。
溶け落ちた核燃料が、地下において再臨界している可能性が高い。
予算がつかないので、年度末まで放置される現場作業も多々あるといわれており、民間企業による原発事故対応への限界が指摘されている。



(参考)
福島燃料プール危機の教訓
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posted by たかおん at 16:40| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月06日

平成の関東軍「福島第一原発の保安院保安検査官はオフサイトセンターへ退避」

 原発が危機的状況に陥った場合、原子力災害対策特別措置法第3条にて、原子力事業者は原子力災害(原子力災害が生じる可能性を含む。)の拡大の防止等に関し、誠意をもって必要な措置を講ずる責務を有するとしている

 政府としては民間人の東電職員に原発を死守する命令は出せない。しかし、公務員である保安院の保安検査官は職務として、原発事故の最前線で情報を経産省へ送り続ける義務がある。
 しかし、保安検査官は避難してしまった。この件で誰も罰せられず、経産省は保安院を取り潰して責任逃れを行った。

(1)経産省には原子力発電の規制官庁であり、原発甚大事故が起きた行政責任がある。
(2)事故対応判断を損ねる引き金を引きかねない人員撤退の過失責任。
(3)MOX燃料を使用させたことによる事故重篤化の責任がある。

(2)は分かりやすい事例だが、これとても責任を取ることが無かったという点において考えるに、日本では原子力・核燃全般の運用は無理なのである。官僚機構の無謬性というは単に責任を取らないから失敗した事にならない、という屁理屈に過ぎない。小学生の民主主義とはこの事だ。

(3)の証明は難しい。3つも原子炉燃料が溶融し、燃料プール冷却機能が失われた中で3号機が最も大きく損壊した。
他原子炉との比較から推測ができるに過ぎない。

(1)は津波対策、全電源喪失対策の不備において行政責任があるだろう。

メルトダウンした日本―船橋洋一氏インタビュー(上)
−−転載開始−−
14日夜9時半ぐらいから15日の昼にかけて、政府の職員たちをみんな逃がしている。その一方で、同じ頃、菅さんは東電に乗り込んで「お前ら、死ぬ覚悟でやってくれ」と言っている。
(略)
保安検査官の逃走というのは、一種の規制体制、規制レジームのメルトダウンだったと思います。
──米国もこの事実を聞いてびっくりしたとのことですね。
米国のNRC(原子力規制委員会)の2人に聞きましたが、2人ともびっくりしていて、「信じられない。アメリカだったら、完全に首だし、はっきり言って監獄行きだね」と言っていました。
米国の保安検査官というのは、家族と一緒になってプラントの近くに住むのです。家族の命もかかっているから、死に物狂いで安全を守るのだと言っていました。
−−引用終わり−−

ーー朝日新聞吉田調書からーー
各原発には、原子力安全・保安院、今なら原子力規制庁に所属する原子力保安検査官が、常駐する制度になっている。
 東日本大地震発生時、福島第一原発内にも当然いて、地震後一時、免震重要棟に入っていた。だが、しばらくして南西5kmのところに福島オフサイトセンターが立ち上がると、そこへ移動した。
 2日後の3月13日午前6時48分、そのころオフサイトセンターに詰めていた東電原子力担当副社長の武藤栄が、吉田に、保安検査官が福島第一原発に戻ると連絡してきた。
 「保安院の保安検査官が、そちらに4名常駐をしますと。12時間交替で1時間ごとに原子炉水などプラントデータを、報告をするということになります」
 吉田は即座に「保安検査官対応!」と受け入れ態勢を整えるよう部下に指示した。
 保安検査官はその後しばらくしてやって来たが、3月14日夕方、2号機の状況が急激に悪化するとまたオフサイトセンターに帰ったとみられる。そして、15日朝、オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)が原発から60km離れた福島市(福島県庁)へ撤収すると、いっしょに行ってしまった。

 作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。
−−転載終わり−−

[改訂][続]吉田調書から学ぶ、「原発と人間」

【東日本大震災】:福島第1原発事故 政府事故調の調書、・・・
『保安院の保安検査官が福島第1原発からオフサイトセンターに撤退した問題について、保安院職員は調書で、経産相の意向で検査官に現場に戻るよう指示があったにもかかわらず、一人の検査官が「現地に行ってもどうにもならない。なぜ行かなければならないのか」と反対したことを明らかにした。』
posted by たかおん at 21:43| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

保安院、MOX燃料利用推進を優先し、津波対策に圧力

 政府が12月25日に公開した福島原発事故の調書によると、保安院が巨大津波の危険性を事故前から把握していたのに、津波対策を怠っていた事が分かった。

 東日本大震災直後に毎日新聞で記事になっている。
 岡村行信委員の提言を、東電は「十分な情報がない」と対策を先送りした、との記述がある。今回の調書で判明したのは保安院内部で、津波について圧力が存在したということである。
 しかも、MOX燃料の利用という国策推進を重視するために、地震・津波対策を意図的に怠っていたことが分かった。

 ちょっと、分かりづらい。
私なりの解釈では、
MOX燃料導入で電力会社に地元行政との調整や、東電と保安院間での手続き等で手間をかけさせているので、更に津波対策を取らせるのは難しい、という判断を保安院が行った、ということなのだろうか。

 結局、MOX燃料使用手続きを巡って経産省・東電は福島県と対立し、検察特捜による佐藤栄佐久知事(当時)への国策捜査が行われ、佐藤知事は排除されMOX燃料は福島第一原発に導入された。

 3号機原子炉と3号機燃料プールに32束つづMOX燃料が装荷されていた、と言われている。(原子炉内燃料棒の3分の1はMOX燃料だったという見解もある。)

 結果として、津波対策は行われず、全電源喪失を招き、3月14日には3号機燃料プール核爆発及び、3月20日格納容器圧力急上昇(爆発)が起きた。
MOX燃料が事故を重篤化した可能性は高い。

津波について言えば、

明治三陸地震 1896年6月 M8.2~8.5 最大津波38.2m(遡上高)
昭和三陸地震 1933年3月 M8.1   最大津波28.7m(遡上高)
チリ地震津波 1960年5月 M9.5   三陸海岸6.4m
東日本大震災 2011年3月 M9.0      最大津波40.1m(遡上高)
(Wikipediaより)
福島第一原発へ到来した津波は15m程度とされている。

と30年から50年間隔で東日本に襲来しており、869年の貞観地震を持ち出すまでもなく、地震対策は万全を期するべきだった。
また、日本の原発は費用低減のため排熱塔がない。これも津波による影響を大きくさせた。

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(参考
津波対策「関わるとクビ」 10年 保安院内部で圧力

 保安院の小林勝・耐震安全審査室長の調書によると、二〇〇九年ごろから、東日本大震災と同じクラスの貞観地震(八六九年)の危険性が保安院内でも問題になっていた。独立行政法人「産業技術総合研究所」の岡村行信活断層・地震研究センター長は、貞観地震が福島第一周辺を襲った痕跡を指摘。自らの調書では「四百〜八百年周期で反復していると考えている」と述べた。
 岡村氏らの指摘を受け、小林室長らは貞観津波の再来リスクを検討するよう保安院幹部に提案したが、複数の幹部から一〇年に「あまり関わるとクビになるよ」「その件は原子力安全委員会と手を握っているから、余計なことを言うな」とくぎを刺されたという。
 当時、国策で使用済み核燃料を再処理した混合酸化物(MOX)燃料の利用が推進されており、保安院の幹部の中には、地震・津波対策より国策の推進を重視する体質があった。

津波対策を妨害した原子力安全・保安院の幹部に刑事罰を

津波検討「余計なことをするな」
保安院 上司から圧力
福島第1 政府事故調の調書公開

福島原発事故の調書、最後の資料が公開へ!東電社長や会長は非公開!津波対策で「あまり関わるとクビになるよ」と保安院幹部発言

posted by たかおん at 18:53| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月04日

ゴーストタウン・デトロイトに東日本の未来を見る

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 60〜70年代はアメリカの自動車産業や鉄鋼の街として栄えた米国デトロイトだが、現在中心地はゴーストタウン化し、市内の3割が空き地、6〜7万棟の建物が空き家となっている。貧困率・犯罪発生率は全米No.1である。 
 さながら『北斗の拳』のような状況になっている。治安の悪さは赤信号でも止まるなと言われ、消防署は売りに出され、警官は諦め、ハロウィンの夜には空き家への放火が大流行。廃墟群は麻薬の売買や麻薬パーティの場と化しているという。古き良きアメリカはどこに行ったのだろうか。

 実はデトロイト郊外には1966年10月5日炉心溶融事故を起こしたエンリコ・フェルミ1号炉がある。
 炉心溶融事故の原因については情報があるのだが、どの程度放射能が環境中へ漏洩したのかは分からない。
 英語の文献には記述があるかもしれないので、興味のあるかたは英語文献を精査して欲しい。(Enrico Fermi Fast Breeder Reactor)

 さて、ここからはまるっきりの憶測なのだが、エンリコ・フェルミ1号炉の事故がデトロイト衰退に関係しているのではないか?と私は考えている。
もっとも、五大湖周辺には幾つも原発があり、放射能が数十年に渡って流れ込んでいる。土壌の汚染も酷いだろう。

 エンリコ・フェルミ1号炉(高速増殖炉)の隣にフェルミ原子力発電所というのが操業中である。ここから放出されるトリチウム、クリプトンなどの希ガスが一定程度あるだろう。この影響も無視できない。

 原発は住宅密集地には法律により建設できないはずなのだが、フェルミ原子力発電所は住宅地のすぐ近くにある。

 実姉はイリノイ州ロックフォードに留学していたが、地図で見ると川の上流にバイロン原子力発電所がある。アホかいな?
 留学先のホストマザーは胃がんを患っていた。姉も帰国後、悪性リンパ腫を発症した。敦賀湾原発銀座[悪性リンパ腫]多発地帯の恐怖という本がある。リンパ腫というのは原発病とも言える。

 チェルノブイリ事故で分かったのは、放射能は脳に強く作用する。脳神経細胞が再生しないことが原因とされる。(大脳皮質には、大人になっても新しい脳細胞が付け加わっていることがわかっている)。
 放射能の影響により脳の神経細胞が破壊される。破壊された神経細胞は元にもどることはない。体の中に入った放射能の量が多いほど、脳の破壊がすすみ、やがて、脳の機能が失われていく。
 脳のもっとも外側が破壊されると、知的な作業ができなくなったり、記憶力が低下する。
 特に影響を受けやすいのは、視床下部、脳幹。ここを破壊されると、食欲や性欲が失われたり、疲労感や脱力感に見舞われる。
 また内臓の働きが悪くなったり手や足の動きをうまくコントロールできなくなるなど体全体に影響がでる。
 恐ろしいのは、脳の異常は、その脳が気付けない点にある。

 脳機能が低下すると、記憶の喪失や性格異常が発生する。精神疾患の増加も影響があると思われる。
 結果的に、社会的な機構に衰退の影響がでてくる。暴力犯罪や放火の増加や、事故の増加となって顕在化する。つまり、デトロイトのような街になる。

 ん・・・何やら最近の日本が似てきたような・・・・東日本の未来にゴーストタウンデトロイトが見える。


(参考)
エンリコ・フェルミ炉はアメリカのデトロイト郊外にあった高速増殖炉試験炉である。
1966年10月5日に炉心溶融を起こし、閉鎖された。 原子炉の炉心溶融事故が実際に発生した最初の例とされている。後にこの事故について書かれたドキュメンタリーのタイトルには、『我々はデトロイトを失うところであった』と書かれた。
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エンリコフェルミ高速炉の燃料溶融事故とナトリウム冷却炉の設計と運転上の問題点
「事故の原因は炉内の流路に張り付けた耐熱板が剥がれて冷却材の流路を閉塞したためである」
高速増殖炉 −過去。現在・未来 小林圭二氏
(2)エンリコ・フェルミ炉の炉心溶融事故(1966年)
@ それまでにも蒸気発生器(初の一重管方式)の事故が絶えなかった。伝熱管漏洩事故と、蒸気温度と圧力の振動事故が多発。後に後者と同様の事故がもんじゅでも発生。
A 運転のため出力を上げている最中、制御棒の位置がこれまでより引き抜かれている状態にあることに気がつき、同時に、建家内の各モニタ−が放射能の異常な上昇を検出、格納容器の自動的隔離が働いた。原子炉は手動でスクラムされた。
B 炉内の状況把握と原因解明に長期間を要し、1年3ヶ月たって、ようやく原因が確認された。炉心下部に、炉心崩壊事故時の再臨界防止を兼ねて円錐形流路案内部が設置されているが( 、それを構成するジルコニウム板のうち2枚が剥がれ、燃料集合体への冷却材流 図2)入口を塞いだために燃料が過熱し溶融したことが確認された。この事故は、後にもんじゅの「五項事象」の一つ「局所的燃料破損事故」として安全解析の対象となった。
C 1970年運転再開されたが、72年、永久閉鎖された(短命だった 。)
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高速増殖実験炉「常陽」の事故及び関連する主要な出来事まとめ
高速増殖実験炉「常陽」の事故とその重大性 
小林圭二(元京都大学原子炉実験所講師) 
昨年(2008 年)の原子力学会年会、14 の分科会に分かれた広範かつ膨大なプログラムの中に、「ナトリウム冷却型高速炉の原子炉容器内観察・補修技術の開発」という地味なタイトルが含まれていた。特に注意はしていなかったが、直前に送られてきた予稿集を読んで、「おや、これは何だろう」と思う記述があった。「計測線付実験装置と回転プラグとの干渉」という短い記述である。胸騒ぎを覚えて当日の口頭発表を聞きに行き、そこで高速増殖実験炉「常陽」で事故があったことを初めて知ったのである。 
常陽は茨城県大洗町にある熱出力14 万キロワットの実験炉で、発電設備は備えてない。 現在はもっぱら将来の高速増殖炉用燃料や材料の開発のための照射試験用原子炉として使われている。 
「常陽」の炉心は、「もんじゅ」と同じような六角形の燃料集合体85 体で構成されてい る。照射試験は、炉心のど真ん中を含む6 ヶ所で行えるようになっている。2007 年5 月 の定期検査時に、そのうちの1 つに入れていたMARICO − 2 と呼ばれる照射試験用実験装置を抜き、原子炉容器内壁近くのラックへ移した。MARICO − 2 をそこで切り離し、移動装置だけ元の位置に戻した。ところが、照射実験装置がラックにキチンと収まっていなかったか、あるいは移動装置の掴みがはずれなかったために、移動装置の移動によってMARICO − 2 の上部が引きちぎられてしまった。MARICO − 2 はラックの上へ9 センチもはみ出し、その突起物が、移動装置の移動にともないラック上を通過した炉心上部機構にぶつかり、炉心上部機構の下面を破損させた(図)。 
ところが、事故の発生は約6 ヶ月後まで わからなかった。11 月の燃料交換作業で操作不能が起こり、その原因調査で初めて損傷に気がついたのである。破損の発生も、それに気がつかなかったことも、ナトリウムが水とちがって不透明なことが基本的要因となっている。その不透明さが、破損の調査自体も大変困難にした。破損部を探査するためには、原子炉容器内のナトリウム液位を、炉心上面が裸になるまで下げなければならない。炉心上面と炉心上部機構の間はわずか7センチだ。炉心上部機構の下面を調査するには、その隙間へ上向きの観察・撮影機器を差し込み、原子炉容器外から遠隔操作できる特殊な取扱装置を開発しなければならない。学会の発表はその装置の開発と模擬テストを報告するものだった。
特殊装置による調査の結果、炉心上部機構の下面では制御棒案内管が曲げられ、冷
図07年の「常陽」の事故原子力機構の資料より 
却材の整流板が下へ垂れ下がっていた。照射実験装置の移動装置は引きちぎられたMARICO − 2 の上部(ハンドリングヘッド)を掴んだままの状態で、それを試料部とをつないでいた6 本のピンはなくなっていた。数々の損傷の中でも制御棒のスム−スな動作を妨げる案内管の損傷、原子炉容器内に散乱された固定ピンの行方は、安全上極めて重大な事態である。 
同様の事故が「もんじゅ」で起こればどうなるだろうか。そもそも「もんじゅ」では、究極の事故=炉心崩壊事故対策として、ナトリウム液位を炉心上面が見えるところまで下げられない構造になっている。破損を見つけること自体できない。 
「常陽」で失われたピンの探索・回収は困難を極める。前例が、1966 年、米国高速増殖実験炉フェルミ炉で起こった。剥がれた板が冷却材流路を塞ぎ、過熱した燃料が溶融した事故である。特殊な遠隔操作機具を開発し、失われた板の回収に2 年近くを要した。固定ピンはより小さいため、探すだけでもフェルミ炉事故の場合よりずっと困難だろう。どこかに挟まり冷却材の流れを塞げば炉心溶融につながる。炉心が溶融すると原子炉の反応度が増大するので暴走事故につながるかもしれない。(フェルミ炉や「常陽」は実験炉で小型のため、その影響は「もんじゅ」より軽減される)。原子炉容器内に異物を落としてしまうトラブルはあり得ることだ。高速増殖炉ではそれが致命的になる可能性が大きい。 
「常陽」の事故は、軽水炉にない高速増殖炉特有の危険性を如実に示している。それが、原子力界内で目立たぬように処理されようとしている。修理には2 年〜 4 年、40 億円〜100 億円の費用がかかると言われている。こんな原発が実用になるはずがない。 

実験炉 常陽
posted by たかおん at 02:20| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

テレビ朝日・ザスクープスペシャル 2013.8.11.書き起こし

原発と原爆 日本の原子力とアメリカの影(1)
原発と原爆 日本の原子力とアメリカの影(2)

残留放射能による内部被曝と核に関する対米関係経緯をおおまかに網羅している。
大変な労作である。
NHK系でもいくつか原発関係のドキュメンタリーが作成された。ETV系で対米関係を詳述した番組があるにはあるが、核燃問題で一挙に対米関係や内部被曝まで扱ったのは本作だけだろう。
要点だけ抜き書きした。

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幾つか大きく抜けていると思われる点を先に記述する。
誰も助けに来なかった 吉田調書、所長が「恨み」吐露(朝日新聞)
「吉田調書」が明かす 真の「フクシマ50」は 間組、南明興産だった(各紙)
14日11時頃の3号機燃料プール爆発で核燃料が構内に散乱した。
以後、指揮が落ちているのがテレビ会議録からも伺える。
吉田証言では間組と南明興産が助けに来たと述べている。
16日の自衛隊ヘリ放水+地上放水まで、現場をどうやって維持したのか。超高線量の燃料棒をどうやって片付けたのか。
遠隔操作のブルドーザーを使ったなんて話もあるが、細かいものは取り除けない。
暴力団が動員したホームレス特攻隊に集めさせたなんて噂もある。
原発は発電としては不経済であり、人的損耗を前提として稼働している。核及び核燃が秘密を産み、統治の強権化を育む役割を果たす。
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福竜丸関連の証言で、
「肝臓がん 肝機能障害 C型肝炎」
なんて言葉が出てくる。
近年の肝臓関係の疾患増加は放射能に起因するのではなかろうか?

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以下、要点だけ文字起こし
311の5日後、自衛隊が行った放水
自衛隊ヘリ放水の謎

NRC電話会議議事録では
「情報の量が少ない」「100%メルトダウンが起きている。」

NRCは12日には2人の職員を派遣。
日本側に協力すると伝えていたが、日本は支援要請を断っている。

アメリカは1979年にスリーマイル事故を経験し、それ以後新規原発を稼働させていない。日本側に奢りがあり、この事故を機会に米国が情報収集しているのではないかと勘ぐった。

ジョン・ルース駐日大使は興奮気味だった。

官邸は原発事故は当事者の東電が解決すべきだと考えていた。
原子力災害法には、事業者による解決が明記されていた。

米国は外圧をかけて、どうやって日本政府が対処できるかということを考えた。

結果的にアメリカの圧力を受けて、菅直人首相は東電に乗り込んだ。
「原発事故が大変なことになったら、外国が乗り込んでくるぞ」
「このままでは、3つの原子炉がメルトダウンするぞ」

米国ははっきりと英雄的犠牲を求めた。
人が死ぬかもしれないが、危険があっても政府として対処が必要である。
統幕長「しっかりやってよね」と言われた。
「最後は自衛隊だよね。」

NRC勧告、国務省日本部長により、米国は80km退避を指示。  
ルース駐日大使に80kmに拡大の指示。

日米同盟の危機
細の「日本の生き残りの問題です。」
3月16日4号機で二度目の火災が発生。(重要)
吉田所長「爆発したらまた死んじゃうんだぜ。」
防衛大臣「自衛隊は一番先にでて、決死的な勢いでやるべき部隊」

3月17日内部文章では、高圧放水車による放水実施予定だった。

8時30分 官邸が先にヘリ放水を行うと変更指示
9時48分 ヘリ放水
10時頃 オバマ電話会談

オバマ大統領との電話会談前にヘリ放水することには、
極めてシンボル的な意味があった。
電話会談では具体的なことは言わなかったが、政府が前面に出てやっていることは伝わった。
プロパガンダに近い意味、アメリカへのパフォーマンス
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1945年9月13日原爆計画No2トーマス・ファレル准将
「広島に残留放射能はない」
死ぬべきものは死に、残留放射能に苦しんでいる事を否定。

核の傘の元、日本政府も同じ方針をとってきた。
【注意:米国は核の傘は存在しない(他国の為の核兵器使用はしない)と明言している】
実際は、ロンドン・デイリー・エクスプレス 
ウィルフレッド・バーチェット記者外国人ジャーナリストとして
原爆投下28日後9月3日に広島入り
市内の病院直行、残留放射能に被曝した人が、次々と息絶えていく姿を目にした。

「原子病」the atomic plague
未知の何かが原因で死んでいく
No more Hiroshima として9月5日に記事を発表

9月6日トーマス・ファレル准将がウィルフレッド・バーチェットと会見
GHQが報道統制を行う
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シカゴ・デイリー・ニュース、ジョージ・ウェラー記者(写真家)

9月6日に長崎入 医者や患者を丹念に取材
爆心地、山王神社の鳥居の向こう長崎医科大附属病院が見える

放射線は肉体を貫通して血小板を破壊した。
患者の多くは内出血が止まらず死んでいった。
私はその事実を全世界に伝えたかったのだ。

GHQに没収され差し止められた。
「長崎の人々を襲う謎の病」は表にでなかった。

(息子証言)父が見たのは衝撃的な光景でした。

後発的な症状で1日10人の方が無くなっている。
原爆の残留放射線の長期的な影響だ。

白血球の減少、嘔吐、下痢、皮下出血など
放射線障害といえるだろう。

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1945年7月 原爆実験
トリニティ核実験報告書
放射能の灰が空気中に大量に漂っている
深刻な健康被害を及ぼす放射能の灰が検出された。

原爆開発責任者 レスリー・グローブス将軍
8月下旬 残留放射線による健康被害
健康そうな広島の復興作業員の白血球が8000から3800に減少
我々にとってダメージになる。

ABCC 原爆傷害調査委員会 

1950年代 健康被害調査 こちらは ウッドベリー統計部長
広島における残留放射能による症状
急性症状314人
1953年 聞き取り調査の記録
ドクター 玉垣氏 紫斑や脱毛があった
私は放射線のせいだといったが、記録は放棄された。

ABCC ウッドベリー部長は(被曝の影響を)認めていた

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(米側見解)
症状は放射線によるものではありません・・・
残留放射線は疫学調査は終わった?
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元エネルギー省政策顧問 ロバート・アルバレス氏
米政府は熟知していた
アメリカは核兵器開発を進めるため
残留放射能の危険性について、世界の世論やアメリカ国民を欺いている

科学者は軍と密接な関係にあり、軍の手足として働いた。
科学者たちは残留放射線の危険性を指摘した場合、キャリアを失うことを恐れた。

「戦争の最初の犠牲者は真実である。」ウェラー
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1953年8月 ソ連水爆実験
核開発でアメリカは初めて遅れを取った。

原子力の平和利用を打ち出す

ウラン濃縮工場 テネシー州オークリッジ

アメリカ、メリーランド州米国立公文書館
原子力平和利用計画のもう一つの狙い

1952年10月国防総省機密文書
平和と繁栄を産む原子力の方が、
戦争を生む原子力よりも世界に受け入れられやすい
原子力が建設的に利用されれば核兵器も受け入れやすくなるだろう

1953年3月国家安全保障会議議事録
現在の世論のもとでは我々は核兵器を使用できない
その感情を緩和するため あらゆる努力をすべきだ

1953年12月国家安全保障会議報告書
アメリカが同盟国に開示する原子力の情報は次のカテゴリーを含む
核兵器の戦略的活用
西側諸国に原子力を普及させ
核配備に繋げようという狙いが透けて見える。

被爆国日本から核アレルギーを取り除くため在日大使館の元
広報文化交流局が宣伝工作を行う

1954年3月アイゼンハワー演説からわずか三ヶ月後にビキニ環礁で水爆実験「ブラボー」

爆発の5時間後第五福竜丸に死の灰が降り始めた

二週間後帰港、自然界5000倍の放射能を測定

死の灰から27種類の核分裂生成物を検出した。
2週間近く汚染環境で生活、体の中に入っている。
23人全員が緊急入院
髪の毛と爪に影響、頭髪が抜け、被曝の影響でどんどん貧血が進行した。

水爆マグロでパニックなる。
反原水爆運動が盛り上がり、3200万人に上る反対署名が集まる。

1954年10月国家安全保障会議報告書にアメリカ側の狼狽ぶりが記載
「核実験の続行や原子力の平和利用に支障をきたす」
「日本への情報工作の強化が必要だ」
NSC作戦委員会の提言
「日本人の嫌悪感を除去するアクション」

「日本人患者の病気の原因は、放射能ではなく、飛び散ったサンゴの化学作用によるものとせよ」

「水爆実験の副作用について発表したプレスリリースを読んだが、核兵器が爆発したこと以外はすべてが嘘」

無線長久保山愛吉氏死去。骨髄や体中の臓器に損傷。
急性放射能症と発表。
アメリカ側は否定。

日米政治決着が図られる。

外交史料館
「アリソン駐日大使
安全保障の関わる。福竜丸に関する機密を保持」
国務省と交渉
日米有効関係上、面白からざる事態。
情報統制が敷かれる。

検閲・機密漏洩防止
ビキニ実験を国際法上の不法行為として取り扱わない
損害賠償ではなく、慰謝料として支払う建前

鳩山一郎首相、政治決着
二百万ドルにて、完全な解決とする


アメリカの宣伝工作
1954年6月 ソ連が世界初の商業用原発を稼働
1955年3月 国家安全保障会議報告書

電力不足で電気料金の高い日本にとって原発は経済的に魅力的であろう

原子力平和利用使節団 来日
ホプキンズ

濃縮ウラン受け入れ
1955年6月21日日米原子力協定仮調印

イエーツ議員の演説記録「広島への原子炉の提案」
秋には立ち消えになる。


原子力の平和利用と核兵器は安全保障上 表裏一体
核には二面性がある。
原発と原爆は表裏一体

(脱原発閣議決定)
アメリカの強い反対があったので政府として考慮せざるをえなかった
圧力は周知の事実
何人かのエネルギー省高官は日本は原子力を放棄するべきではないと緊急声明をだしました。
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アーミテージ・ナイ報告書
近未来における原子力エネルギーの欠如は日本に重大な影響を及ぼす

2006年 東芝が米ウェスチングハウスを買収
2007年 日立とGEが統合

「日本は今では世界で原発を推進する アメリカの代理人、
日本こそアメリカの影響下で原発を持続することができる唯一の希望」

日米原子力協定 
核燃料サイクル
使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを作り原発に再利用する

非核国では日本だけある種特権的な地位

(脱原発閣議決定は)
2012年9月19日 わずか5日で参考文献扱いとなった。



(参考)
「原発ゼロ」つぶしのバックにアメリカ〜「東京新聞」がスクープ

posted by たかおん at 00:08| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする